グリニッジの標準時の話
1884年(明治17年)にアメリカ・ワシントンで国際子午線(しごせん)会議が開かれ、25ヶ国が出席して、イギリス・ロンドンのグリニッジ天文台を通る子午線を経度の基本とすることが決まりました。 グリニッジは政治的に安定しており、第一級の天文台を有するという点で1881年(明治14年)に開かれた国際地理学会で基準子午線の候補地にあがっていました。 それまで各国各地がばらばらに経度と時刻を使う地方時を採用していましたが、各国の交流が増え、交通、通信の発達に伴い混乱が生じることを防ぐため、世界共通の時刻制度が必要になったためです。
日本の標準時の話
1884年(明治17年)の国際子午線会議でグリニッジ天文台を通る子午線を経度の基本とし、そこから経度が15度ずつ隔たる毎に1時間ずつ時差を持つ時刻を各国で使用することが決まり、日本もこれを受けて1886年(明治19年)に東経135度の子午線の時を日本標準時とすることを制定し、1888年(明治21年)1月1日から実施となりました。1910(明治43年)に兵庫県明石市に子午線標識が建てられ、1960年(昭和35年)に建設された明石市立天文科学館は東経135度の通過点にあります。尚、日本標準時はグリニッジ標準時より9時間(サマータイム期間中は8時間)進んでいます。
暦(こよみ)の変遷
太陰暦は月の満ち欠けを基準とし、月が地球を1周する周期は約29.53日なので、ひと月を29日と30日とし、1年を12ヶ月とした暦ですが、1年が354日となり太陽暦の1年365日より11日短い暦でした。
これでは毎年、季節が10日あまり遅れてしまい生活に不便です。そこで、この差11日を調整し、1太陽年365日に近づけるために、2〜3年毎に1度ひと月のうるう月(閏月)をいれて1年を13ヶ月にしてズレを補正していました。日本の昔の暦もこの方法でした。
現在の暦は、地球が太陽を1周する周期約365.2422…日を基準とする太陽暦で、4年毎に1日を追加調整するユリウス暦から更に改良を加えたグレゴリオ暦がほとんどの国で使われています。
うるう年(閏年)は必ず4年毎に来るか ?
1年は365日ですが、実際は地球が太陽を1周するのに365.2422…日かかります。この差を補正するために4年に1度「うるう年」にし、1日加えますがそれでは加え過ぎとなり、少しずつズレができます。ズレは400年に約+3日になります。それを調整するため4で割り切れる年をうるう年とするだけでなく、400で割り切れない100の倍数年を平年とします(例えば1900年、2100年は平年で、2400年は「うるう年」です)。したがって、2100・2200・2300年をはさむ「うるう年」は8年目に来ることになります。こうすればズレは非常に小さくなり、1万年で3日ほどになります。この方式は1582年にグレゴリオ13世が制定した暦によるもので、これをグレゴリオ暦と言います。現在、世界のほとんどの国で使われています。
うるう秒(閏秒)って何 ?
「うるう年」は通常4年に一回の割合で2月の最終日に1日追加されますが、「うるう秒」はいつ追加するか決まっておりません。この「うるう秒」の定義によれば「1秒のステップ調整は、12月及び6月(第1優先)、3月及び9月(第2優先)、必要とあれば任意の月の各末日の最終秒(UTC=協定世界時)の後へ1秒挿入するか、または最終秒を引き抜く事によって行われる。日本の場合は、時差の関係で上記の翌日に1秒の調整が行なわれています。この際挿入される(引き抜かれる)1秒を正(負)のうるう秒と呼ぶ。」となっております。
現時点では、「うるう秒」の挿入が行なわれています。
地球の動き(自転、公転)は、さまざまな変動をしていて正確なものではありません。
この地球の自転を天文観測して決めるグリニッジ子午線の時刻を基準とした時刻系を「世界時(UT)」といいます。一方、原子の振動周期を測定して決める非常に正確なセシウム原子時計の時刻を基準とする時刻系を「原子時(AT)」といいます。この両方の誤差を上記の方法で補正、管理し、尚かつ実生活にも合った時刻系を「協定世界時(UTC)」といいます。
曜日の起源は ?
1週間7日制は古代バビロニアから始まったといわれていますが、各曜日は古代ローマによって作られました。古代ローマでは1日を24等分して1時間毎に5つの惑星と太陽と月とを繰り返しあてはめて呼び、距離の遠い順に土星、木星、火星、太陽、金星、水星、月の順番と決めました。そして、1日の最初の1時間が1日全部を支配すると考えました。こうすると最初の日の最初の1時間は土星で、2日目の最初の1時間は太陽(日)、3日目の最初の1時間は月となり、以降火星、水星、木星、金星となって、土曜日から始まり7日間で繰り返される曜日が出来ました。しかし、宗教上の理由で週の初めは日曜となり、更にローマがキリスト教を国教にしてから日曜にキリストが復活したことを記念するため日曜日を安息日の休日と決められました。今でも多くのカレンダーは週の初めが日曜からとなっています。
日本の時刻制度の話
“時”についての最も古い記録として「日本書紀」に“漏刻(水時計)”のことが載っています。漏刻の時代の時刻制度は、奈良時代などと同じように1昼夜を12等分していたと思われます。12振(しん)刻に区切った時刻には、十二支をあてはめて呼びました。子(ね)の刻とは現在の午後11時から午前1時の2時間分をいい、午(うま)の刻とは午前11時から午後1時をいいます。現在、私たちは1昼夜を24等分して1時間毎に区切った時刻を使っていますが、これらは定時法と言います。これとは別に夜明け・日暮を境にして昼と夜を区別し、季節により長さの違う昼と夜をそれぞれ6等分して時刻を決める方法を不定時法といいます。
奈良・平安時代は定時法が使われていましたが、鎌倉・室町時代は不定時法で、江戸時代は定時法と不定時法が併用され、不定時法 は明治5年まで続きました。そして1872年(明治5年)12月3日(太陽暦では明治6年1月1日にあたる)に国の暦が太陰暦から太陽暦に変わり、その一環として現在と同じ定時法の時刻制度が定められました。
機械時計の始まり
“日時計は太陽が照らないと時刻が分からないので、水や砂を利用した時計や灯油を燃やして灯油の減り具合から時間を計る時計などが考案されましたが、信頼性が低いものでした。そこで人間は水や砂などの流動物を使わない機械時計を発明しました。AD(西暦)1300年頃には重りを動力にした歯車機構を、棒てんぷと冠歯車からなる脱進機(だっしんき)の機構(歯車を間欠的に回転させるしくみ)によって規則正しく回転させて時刻を示す時計がつくられました。教会の塔などに取り付けられるようになり、機械時計の時代が始まりました。1582年頃ガリレオ(イタリヤ)が振り子の等時性原理を発見、1656年頃ホイヘンス(オランダ)による振り子時計の開発によって、精度が画期的に向上する次世代の機械時計に引き継がれていきます。
時計の歴史
間と時の関わりは長く、BC(紀元前)3400年頃にエジプトで星により時間を計っていたようです。BC2000年頃にバビロニアで日時計が使われていたといわれています。その後、水、ローソク、油など様々な素材を用い「時」を計る時計が作られました。 AD(西暦)1090年に中国では脱進機をもつ大型の水時計(水運儀象台−天文観測時計塔)が作られました。1300年頃には重りを動力とする機械時計が誕生し、1462年頃にぜんまいを動力とする小型時計へと発達していきます。 時計技術の革新は、1582年頃にガリレオ(イタリア)が振り子の等時性原理の発見、更に、1656年頃にホイヘンス(オランダ)がそれを時計の振り子に応用する振り子時計の開発により、画期的に時計精度が向上しました。1675年にホイヘンスはひげぜんまいによるてんぷ式調速機を発明して、携帯時計をつくりました。更にその後、脱進機や調速機などの改良が加えられて機械時計が発達しました。 18世紀にはパリ・ロンドン等で手工業による時計産業が発達し、19世紀にアメリカで合理的な生産システムが開発されて機械時計はめざましい発展をしました。
日本ではAD(西暦)671年に天智天皇が漏刻(水時計)で時を計り鐘や太鼓を打って時を知らせることを始めました。江戸時代には多くの時計師が、櫓(やぐら)時計、尺(しゃく)時計、枕時計などの和時計を作り、からくり儀右衛門こと田中久重は1851年に和時計の万年時計をつくりました。1872年(明治5年)12月3日に明治政府は太陰暦を廃して太陽暦を採用し、定時法に移行したため和時計の時代は終わりました。1875年(明治8年)には八角型や四つ丸型のぜんまい式振り子時計(ボンボン時計とよばれていた)が初めて輸入され、その後日本各地で多くの時計メーカーが誕生しました。
1927年にアメリカで水晶時計が発明されますが、日本では水晶時計の小型化に取り組み、1969年(昭和44年)には時計史上画期的な水晶アナログウオッチが発売されて携帯時計の精度は飛躍的に進歩しました。 続いて1973年(昭和48年)には液晶式水晶デジタルウオッチが発売され、又、1999年(平成11年)及び2001年(平成13年)に標準電波送信所が開設され、全国で正確な時を受信できるようになり、電波修正時計が相次いで発売されました。
| 時計の歴史年表 |
| BC |
3400年頃 |
エジプトで星を利用して時間を計測したといわれている |
| 2000年頃 |
バビロニアで最も簡単な日時計が使用されていたといわれている |
| 1550年頃 |
エジプト第18王朝の頃、アムネム・ヘットが水時計をつくる |
| 250年頃 |
アルキメデスがプラネタリウム(天象時計)をつくる |
| 159年頃 |
アレキサンドリアで定時になると人形が現れるからくり水時計発明される |
| AD |
671年 |
天智天皇が水時計で測った時を鐘と太鼓で民に知らせる(これを始めた日の 旧暦4月25日が現在の太陽暦6月10日で時の記念日の由来となる) |
| 1090年 |
中国で脱進機付の水時計(水運儀象台)をつくる |
| 1462年頃 |
イタリアでぜんまい小型時計が製作される |
| 1480年 |
フランスのルイ11世の時計師が携帯可能な時打ち時計をつくる |
| 1504年頃 |
ピーター・ヘンライン(ドイツ)が鉄製懐中時計をつくる |
| 1582年頃 |
ガリレオ(イタリア)が振り子の等時性原理を発見 |
| 1652年 |
ハンス・ブッシュマンが一ヶ年巻きぜんまい時計をつくる |
| 1656年頃 |
ホイヘンス(オランダ)が振り子時計を開発 |
| 1671年 |
ウイリアム・クレメント(イギリス)が1秒振り子時計をつくる |
| 1675年 |
ホイヘンスがひげぜんまいを使ったてんぷ時計をつくる |
| 1730年 |
アントン・ケットラー(ドイツ)がカッコウ時計(鳩時計)を考案 |
| 1776年 |
スイスでストップウオッチの原型発明される |
| 1780年 |
ルイス・レコルドン及びブルゲーが自動巻懐中時計をつくる |
| 1840年 |
ベーン(イギリス)が電気時計を発明 |
| 1851年 |
田中久重が和時計の万年時計を完成 |
| 1872年 |
日本の暦が太陰暦から太陽暦に改暦される |
| 1888年 |
日本標準時が公布される |
| 1927年 |
マリソン(アメリカ)が水晶時計を開発 |
| 1947年 |
ショックレー(アメリカ)などがトランジスタを発明 |
| 1949年 |
ライアンズ(アメリカ)がアンモニア原子時計を開発 |
| 1963年 |
国産電波修正クロックが発売される |
| 1968年 |
国産水晶クロックが発売される |
| 1969年 |
国産水晶アナログウオッチが発売される |
| 1973年 |
国産液晶式水晶デジタルウオッチが発売される |
| 1976年 |
国産太陽電池発電式水晶アナログウオッチが発売される |
| 1993年 |
国産電波修正ウオッチが発売される |
| 1999年 |
標準電波送信所が福島県に開設され正式運用が開始される |
| 2001年 |
佐賀県と福岡県の県境にも標準電波送信所が開設され全国がカバーされる |
時と時計に関する本
(注)価格は変更されることがあります。また、ここで紹介している本はあくまでも参考文献の一例です。
「時計の社会史」
角山栄著 中公新書発行 (680円)
時間・時計を軸に日本と世界の資本主義社会の発達過程を簡潔に解説しています。
「知ってトクする時と時計の最新常識100」
織田一朗著 集英社 (1500円)
日常生活の中でふと感じる、時と時計に関する疑問について歴史的事実や最新技術情報 を交えてわかりやすく回答しています。
「時計と人間」
マイケル オマリー著 高島 平吾訳 晶文社 (3689円)
アメリカの西部開拓時代の鉄道による時計の発達や近代の時計工業の発展などを通じて、時への関わりが人に与えた影響を興味深い視点で著わしています。
「おじいさんの古時計」
小島 健司著 三省堂 (2427円)
機械時計の掛け時計・懐中時計を中心にして、18世紀以降に欧米で発達した時計の話 から明治時代以降に日本でつくられた時計の話などが紹介されています。
「現代こよみ読み解き辞典」
岡田芳郎・阿久根末忠著 柏書房社 (2718円)
「大安、友引、仏滅 ・・・」「土用のうなぎ」など、中国の影響を受けながら独自の発展を した日本の暦を中心に、暦に関し分かり易く且つ広範に解説しています。
|
* 資料提供元: 時計豆知識は、当協会会員会社の協力により作成された。
|