和時計の世界

日本では、江戸時代に初めて機械時計が製作され、きわめて特殊な時計として発達しました。

機械時計の伝来

きっかけは、室町時代の末頃からキリスト教とともに、ヨーロッパの機械時計とその製作技術が伝来したことによります。 最も古い記録は天文20年(1551)、スペインの宣教師フランシスコ・ザビエルが周防の国・山口の大名であった大内義隆にキリスト教布教の許可を願い出た時、贈った品々の中に、自鳴鐘(機械時計)があったといわれています。 しかし、この時計は現存していません。日本に現存する最古の時計は、静岡県久能山の東照宮に宝物として保存されているもので、慶長17年(1612)、当時スペイン領であったメキシコの総督から徳川家康に贈られたゼンマイ動力の置時計です。

日本での機械時計の製作

キリスト教の伝導が進むにつれて、宣教師たちは九州や京都に教会付属の職業学校を設け、印刷技術やオルガン、天文機器などとともに時計の製作技術を教えました。そこで、日本の鍛冶たちが指導を受けながら時計を製作したのが、日本の機械時計製作のはじまりです。

天保 3 年(1832)編纂の『尾張志』によると、名古屋の津田助左衛門が家康の時計を修理し、それを手本に新たに作って献上した功により慶長3年(1598)、家康に召し抱えられたといいます。ところが、間もなく幕府がキリスト教禁止や鎖国政策を取ったため、ヨーロッパの新しい技術との交流が断たれました。そして、わずかに長崎を通して中国やオランダの文物に接することができ、和時計製作もその影響を受けました。

時計師は次第に各地に増え、多くは将軍家や諸大名のお抱え時計師として仕え、豪華な御用品を製作しました。和時計 の製作地としては、長崎を筆頭に松江、京都、大阪、堺、伊勢、名古屋、若狭、江戸、仙台、盛岡、弘前などが挙げられ ます。これらの土地は海外との交渉の多いところ、文化の中心地、鍛冶金工の盛んなところ、時計に関心を持つ大名のいたところなどです。寛政から文化・文政の頃は、和時計の製作技術も高潮に達し、さらに天保、弘化、嘉永と続くこの時代は量、 質ともに和時計の全盛時代となりました。 ヨーロッパでは機械時計の出現とともに不定時法を定時法に切換えましたが、当時の日本では独特な不定時法が行われていました。そのため、時計製作は基本的にはヨーロッパの初期様式の模倣の域から抜けられず、時計の精度を高め る努力よりも、独特の不定時法に適合させるための創意工夫に専念し、外国には見られない独特な"和時計"を発達させました。

江戸時代の時刻制度

和時計を理解するためには、江戸時代に行われていた時刻制度を知る必要があります。

1日の長さを100等分とか12等分などに分割する時刻制度を定時法といい、現在は24等分しています。これに対して、1日を昼と夜に分け、その各々を等分に分割するのを不定時法といいます。昼と夜の長さは季節によって異なるため、分割した単位時間の長さも変化します。江戸時代では時の基準を夜明け(明け六ツ)と日暮れ(暮れ六ツ)とし、これを境に1日を昼間と夜間に分けその各々を6等分しました。分割した単位時間の一刻の長さは昼と夜で、さらに季節によって変わるという複雑な時刻制度でした。時の呼び方は、1昼夜12の刻に十二支を当て、子の刻、丑の刻などと呼び、別に子の刻と午の刻を九ツとして、八ツ、七ツ、六ツ、五ツ、四ツの数での呼び方もしました。しかし、この呼び方だと1日に同じ数が2度あるので、夜の九ツ・昼の九ツ、明け六ツ・暮れ六ツなど、昼夜、明暮等の区別が必要でした。

不定時法

しん板-昼夜時づくし
しん板-昼夜時づくし

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和時計の種類

和時計は独特な機能に加えて、形態も純日本的ないろいろの種類のものがあります。

機構的に大別すると

重錘動力によるもの ゼンマイ動力によるもの
掛時計
櫓時計
台時計
尺時計
枕時計
卓上時計
卦算時計
印籠時計
懐中形時計
懐中時計

 

主な和時計

※ セイコーミュージアム収蔵品

いっちょうてんぷめざましつきかけどけい
初期一挺天符目覚付掛時計

初期一挺天符目覚付掛時計江戸前期。一日に1回文字盤は回転し、指針は固定されています。鐘は初期型に多い深い鐘で鐘止めは二つわらび形をしています。一挺天符のため、毎日2回、明け六ツと暮れ六ツに天符に吊り下がっている小さい錘(小錘)の位置を調整し季節ごとの時刻にあわせました。
(機械高43.0cm幅14.0cm)

 

おおがたいっちょうてんぷだいどけい
大型一挺天符台時計

大型一挺天符台時計江戸中期。高さは218cmと大型で元犬山城天守閣にあったものと伝えられています。
指針は一日に1回転。側は真鍮無地で文字盤下側に「寛政11(1799)年11月修理」の記録があります。(機械高57.0cm幅20.0cm)

 

にちょうてんぷめざましつきはかまこしやくらどけい
二挺天符目覚付袴腰櫓時計

袴腰櫓時計江戸前期(1688年)。津田助左衛門(三代目)作と推測されます。現在確認されている二挺天符では最古のもの。昼用と夜用の二本の棒天符を取り付け、明け六ツと暮れ六ツに自動的に切換わる仕組みです。これにより一年に24回だけの小錘の位置調整で済むようになりました。初代津田助左衛門は、日本で最初に機械式時計を製作したといわれています。
(機械高36.0cm幅11.5cm)

 

にちょうてんぷめざましつきはかまこしやぐらどけい
二挺天符目覚付袴腰櫓時計

⑧二挺天符目覚付袴腰櫓時計江戸時代、日本製。鐘楼や火の見櫓に似た形の台にのせた和時計を櫓時計と呼びます。動力は錘。和時計はヨーロッパの時計を手本に、江戸時代の日本の特殊な時刻制度「不定時法(1日を昼と夜にわけ、それぞれを等分する)」にあわせた時計。

 

いっちょうてんぷまくらどけい
一挺天符枕時計

一挺天符枕時計江戸後期。ゼンマイを動力に用いた置時計で一挺天符を使用。真鍮の側には毛彫が、朱塗の回転文字盤には金唐草蒔絵がほどこされ華麗な時計に仕上がっています。文字盤には「半」刻表示がみられます。
(機械高14.0cm幅11.0cm奥7.0cm)

 

いんろうどけい
印籠時計

印籠時計江戸時代後期。薬を持ち運ぶ「印籠」に模したケースに時計を入れた小型時計。
時打ち式で文字盤は割駒式。ケースは総べっ甲製で全面に蒔絵。蓋の中に日時計と磁石が仕込まれている豪華な時計。
箱書によると水戸藩主・徳川斉昭(烈公)の所持品と考えられます。
(機械高5.3cm幅4.5cm厚2.5cm)

 

ふりこえんぐらふしきもじばんかけどけい
振子円グラフ式文字盤掛時計

振子円グラフ式文字盤掛時計江戸後期。円グラフ状に描いた不定時法時刻目盛りを使用。1年で1周期だけ自動伸縮する指針は、自動的に季節ごとの時刻を指す大変めずらしい時計(針は、夏至で最長、冬至で最短となる)です。調速用に振子が使われています。
(機械高15.0cm幅15.0cm厚7.0cm)

 

しゃくどけい
尺時計

尺時計江戸、安永年間(1772~1780年)荒木大和作。巻き上げられた錘(おもり)は一定のスピードで落下するため、菱形の割駒(時刻表示のための部品)の位置を不定時法に合わせ使います。
(高136.5cm幅7.5cm機械高11.0cm)

 

けさんどけい
卦算時計

卦算時計江戸文政年間1818-1829年頃。大野弥三郎規行 (幕府暦局御時計師)の作。卦算すなわち文鎮としても使用できる卓上時計。割駒式文字盤。動力のゼンマイがほどけるに従い指針が移動し時刻目盛を指していく仕組みです。底面に彫銘花押があります。
(高3.5cm幅17.0cm奥3.5cm)

 

えんてんぷなみいたしきもじいたしゃくどけい
円天符波板式文字板尺時計

円天符波板式文字板尺時計江戸時代。重錘が動力の柱掛時計。日本独特の時計で重錘が指針となる方式で板時計ともいいます。文字板の種類は、波板式以外に節板式、割駒式などがあります。

 

たまおちしきときうちへいめんおきどけい
玉落式時打平面置時計

玉落式時打平面置時計江戸時代、日本製。あらかじめ筒内に入れてある玉が文字盤の回転により定時毎に落下して、三段の音色の違う鐘に当たり、時を報じる仕掛けになっています。底部には玉を回収する引出しがあります。

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和時計の調節の仕組み

和時計には不定時法に合わせるための種々な機構が工夫されていますが、基本的には二通りあります。①機械の運転速度を必要に応じて変える方法と、②運転速度は一定にしておき文字盤のほうで時間調節を行う方法です。

①運転速度を変える方法

棒天符は、左右の分銅(小錘)の位置を遠ざければ遅く、近付ければ速く振れることで、運動速度が変えられます。一挺天符(棒天符一つ使用)では、毎日2回、明け六ツ暮れ六ツに分銅の位置を掛けかえて不定時法に合わせる必要がありました。17世紀末に二つの棒天符を使用する二挺天符が開発されると、昼用(上部)、夜用(下部)の二本の棒天符が明け六ツ暮れ六ツに自動的に切り替わり二十四節気に合わせ年に24回だけ小錘を移動させれば良くなりました。

和時計の調節の仕組み

②文字盤で時間調整を行う方法

江戸後期になると調速機に振子やひげゼンマイが利用されるようになります。どちらも四季、昼夜の時間変動を機械で調節することが困難なため、時刻の間隔が変えられる割駒式文字盤が考案されました。12刻の文字(十二支または九~四の刻数)を彫った小さな駒板"割駒"はレール装置で左右に移動でき、季節による昼夜の長短に応じた時刻間隔に配置する仕組みでした。

割駒式文字盤

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和時計の文献

和時計の文献

明治の改暦まで、自然の営みに合わせて生活し、その時刻を表現する不定時が長い期間に渡って使われました。季節によって昼の時間の長さと夜の時間の長さが異なる不定時法の時間を時計で表現するには、いろいろな工夫が必要であり、江戸時代を中心に不定時法に対応した和時計は、日本の中で独特の発展を遂げました。
この和時計は海外諸国の研究者の注目を集め、海外に於いても多くの書物に取り上げられ、研究されました。

和時計の文献 和時計の文献 和時計の文献
和時計の文献 和時計の文献 和時計の文献

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セイコーミュージアムの和時計コレクション

ここで取り上げた和時計はセイコーミュージアムのコレクションの一部です。セイコーミュージアムでは貴重な和時計コレクションから常設展示するコーナーが設けられています。説明も受けることができますので、興味がある方は実物を見学することをお勧めします。尚、予約制になっておりますので、事前に電話で予約の上、訪問くださいますようお願いいたします。

セイコーミュージアム
〒131-0032 東京都墨田区東向島 3-9-7
TEL:03-3610-6248
http://museum.seiko.co.jp

セイコーミュージアム

和時計コレクション

日本でも有数の和時計コレクションを専用の空調ルームで展示しています。和時計は、16世紀にヨーロッパから渡来した定時法の機械式時計をもとに独自の機構を組み合わせることで、不定時法に対応した珍しい時計です。また、同時に貴重な錦絵も展示しています。